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十牛図と東西科学観

本日ある講演をきき、十牛図というものの存在を知った。北宋時代の中国の僧、廓庵禅師が描き、解題の漢詩をつけたものとのこと。いろいろな見方が可能だと思うが、東西の科学観を考える題材として見ると、おもしろいかもしれない。
尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛までは、いわば自然現象=牛を追いかける自然科学=牧童、やがて自然現象=牛を飼い慣らしていく技術の進歩という見方で行けそうである。
問題は後半である。「騎牛帰家」ということで牧童は牛にのって家に帰る。何故家に帰るのだろう。得た科学の成果を改めて自分の文脈で認識したいということだろうか。「忘牛存人」ではもはや牛は出てこず、牛を縛る縄も使われていない。そしてついには「人牛倶忘」となり、なにもなくなる。牛どころか人もなくなりただ丸い空白の世界があるだけだ。これはいわば「無」の世界である。
そのあとただ川が流れ花の咲く世界がひろがる「返本還源」となり、「如是」つまり、あるがままをそのまま受け止める状態だとされる。そしてさいごは入廊垂手で終わる。

近代自然科学は基本的には西洋の哲学を随伴しながら発展してきたとは言えよう(ここではそのことの善悪をのべようとしているわけではない)。そして、上記の「無」の概念に当たるものが西洋哲学に果たしてあるのかと問うたときに、はたと立ち止まることになる。
「ニヒリズム」はある。これは神がいないという意味での無なのだが、これは有を前提としてはじめて意味を持つ概念である。こういう論理を明快にしたのがヘーゲルの有論における無であるとするならば、これも同じ文脈のもとにある「無」である。すなわちこれらは十牛図の「人牛倶忘」の空白な世界とはどうも異なっている。
では、近代自然科学における「人牛倶忘」の「無」とは何か。自分は、むしろその直後にある「返本還源」の「如是」の概念の中に、自然を徒に分析するのではなくありのままにとらえる見方を見いだすことができ、これが「人牛倶忘」における「無」に通じるのではないかと考える。近代自然科学における総合的に理解をする位相を、この「無」に対応させることによってはじめて、西洋と東洋の相互理解が達成されるのではないだろうか。具体的には非線形科学、カオスや非平衡熱力学の近年の発展に、あるいは地球科学や生物学など現象の属する階層ごとに相対的に独自に成り立ちうる自然科学の諸分野の展開に、その精神は見られるのではないだろうか。
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  • Author:象(Zoo)
  • 理系研究者です。科学好き、やや社会派、体を動かすのも好きです。

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