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ゲド戦記

ゲド戦記、さっそく観てきました。「想定内」でしたが、やっぱりいまいちですね。
以下ネタバレあり。
一番寂しいのは、世の中に生きている人たちがまったく話と関係ないところです。少数の魔法使いたちが、良い人だったり悪い人だったりしながら行動をして、すべてが決まります。
僕はヒーローもの、ヒロインものも好きだけれど、その場合でも出てくる一般人の描き方がどうしても気になります。ゲド戦記で出てくる一般人の例としてあげられるのは、ヒロインも居候している農家を営むゲドの旧知の魔女の家の近所のオバタリアン2名。子供のための薬を無心に来るくせに、異質なものとして魔女たちを気味悪がり、彼女らに対してまったく心を開かない。それどころか、悪役の魔女の下僕に対して、わずかばかりの報酬と引き替えに、魔女らを売り渡すような行動をとります。
それでその報酬をせしめるならまだしも庶民のしぶとさを感じないでもないけれど、完璧に踏み倒されておしまい。ただの愚かかつ品性下劣なるオバタリアンでしかありません。
主人公やその周りにいる魔法使い、魔女たちは主体的にそれぞれ活躍します。世の中はこの人たちが決めるのです。
僕はこういうお話が大嫌いです。

ジブリ映画がこうなってしまったのは、「ハウルの動く城」からです。このお話も、魔女たちが戦争を始め、魔女たちが戦争を終わらせて話が終わります。主人公を除けば、普通の人たちはただの愚か者たちです。
昔はこうではありませんでした。「ナウシカ」は風の谷の人々に支えられていました。おじいさんたちの、あるいは子供たちの生き生きとしたキャラクターがどれだけ物語に厚みを与えてくれたか。
「ラピュタ」ではパズーを支えてくれた炭坑夫の一家の暖かさ。少し荒くれだけど誠実な周りの人々。盗賊たちさえもが生活者のたくましさと根本的な豊かな人間性を見せてくれました。「となりのトトロ」では普通の一家を描いたのでしたし、「もののけ姫」でのたたら場の人々。「千と千尋」の銭湯の従業員たち。
「未来少年コナン」以来、一般民衆の動きと主人公とは常に関連し合いながら、宮崎駿率いるアニメ映画の世界は形作られてきました。これが消滅し、一部魔法使いが左右する世界を描くようになったのが、前作以来です。
前作も、ゲド戦記も、宮崎駿自身がはじめから好きなように構想したわけではありません。いずれも他の若手監督にまかせたはずの作品です。宮崎駿自身は民衆から浮かび上がった空中戦は描けないはずだと思います。残念ですが、ジブリの新世代はリアリティーのある世界を作品中に構想する能力を持っていないようですね。

追記:06/08/30
宮崎吾朗監督のために述べておくと、あのジブリで監督を務めたということだけでも十分評価に値することです。少なくとも駄作ではありません。宮崎駿の長男であるということも作用しているのでしょう。どちらかというと、宮崎家の長男でなければ務まらないというスタジオの状態に問題があるのではないでしょうか?
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  • 理系研究者です。科学好き、やや社会派、体を動かすのも好きです。

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